
祭神 建諸隅命(タケモロズミノミコト)一ノ宮弥彦大神七世の御子
祭祀の性質 越後国の国津神
祭祀年代 応安元年(1368年)今を去る六百五十年前往昔沼垂里民に与えられたる功績を追敬報思の為里民沼垂の地に祭祀す。
祭神在世に於ける著大なる功績
(一)越後国土を開拓せられし功績
(二)崇神天皇の朝大臣となり給ひて国政に貢献せられし功績
(三)特に沼垂の地を選びて国土を開拓せられ農耕漁業等各種の職業を沼垂里民に教導せられし功績
(四)弥彦神社社殿堂宇を創建せられし功績
由緒概要 越後の国土は神代の昔弥彦大神、天津神の詔を報じて我越後国に照臨し国民に農耕漁業等の業を教導し殖産興業の基礎を築いた。七世にして我祭神乙子大神に至り特に此の沼垂地を選びて、原野を開拓し農耕漁業商工業に至るまで教導し、その偉大なる功績ありし事は歴然たり。往昔応安元年沼垂里民其の神徳を慕い里民に与えれれたる遺勲を追敬し祀社を此の沼垂に立てて祭祀し専ら里内安穏を祈願せしもの是れ現時の沼垂町に乙子神社を鎮祭せる所以なり。
春祭の趣意 我が乙子大神は古より農耕漁業鎮火の守護神として御鎮座あらせられ、御霊威顕高の神に座せば、此祭を盛大に致して御神恩に報謝し奉り一層厚き御守有らん事を御祈願致すものであります。特に漁師の神として有名であり、漁師たちの大漁船中無事の願いをこめ、数多くの船絵馬が奉納されております。末社に金毘羅神社がありますが、この御神体は大物主神で光と導きを与える海上守護神として信仰厚く鎮祭せるものであります。
社掌 金子 吉宣 謹述
